「創作論」と呼ばれているものの正体は方法論と技術論である|Web書籍化メソッドが燃える本当の理由
「プロローグをやめましょう」「群像劇はNG」「主人公は1話目で勝たせろ」——
Xを開けば、こうした主張がほぼ毎日「創作論」として流れてきます。
そしてほぼ毎日、その主張に対して「そんなものは創作論じゃない」「物語の自由を奪うな」という反発で炎上が起きている。あの不毛なすれ違いには、実はとてもクリアな構造的説明がつくんです。
こんにちは。腰ボロです。
今回のテーマは「創作論を装って流れてくる主張の正体は何なのか」についてです。
きっかけはXで見かけた、ある書き手の方のポストでした。要約すると、こういう内容です。
創作論、創作論と口にしているけれど、Twitterで流れてくるのは基本的に方法論と技術論である。
「Web発で書籍化するには」という前提で語られている戦略メソッドが、『創作論』というラベルで投下されるから、書籍化を目指していない人にとってはストレスになる。
ただ、誰かに読んでほしいなら、これらの情報はとても役に立つ。ツールやプラグインのようなもので、必要なら導入し、必要なければ横目で流せばいい。
この整理がとてもきれいだったので、私なりにもう一段ほぐして、私たち書き手が「ネットの創作論」とどう距離を取ればいいのかを整理してみたいと思います。
まず用語を3つに分けると、霧が晴れる
ネット上で混ざって使われている言葉を、いったん3つに切り分けてみますね。
| 用語 | 何を扱っているか | 例 |
|---|---|---|
| 創作論 | なぜ物語を書くのか/どう向き合うのか/何を表現するのか | 「物語とは祈りである」「書きたいから書く、それで十分」 |
| 方法論 | ある目的を達成するための手順全体 | 「Web発で書籍化を狙うならこういう順番で動く」 |
| 技術論 | 個別の場面で機能する具体的なテクニック | 「冒頭3行に異常事態を置く」「群像劇は避ける」 |
見ての通り、創作論は「なぜ書くか」、方法論は「どう運ぶか」、技術論は「どう書くか」で、扱っている層がまったく違います。
ところが現実のSNSでは、技術論が「創作論」というラベルで流通している。それも書き手のせいというより、「技術論」と書くより「創作論」と書いたほうがバズるからという、プラットフォーム側の重力の問題です。ここを混ぜないだけで、議論の半分は燃えなくなります。
なぜ専門学校では炎上せず、Twitterでは炎上するのか
冒頭で紹介したポストの中で、私が一番うなずいたのはここでした。
専門学校の場合は、非常にやりやすい。聴講する学生諸君は基本的に書籍化を狙っているからである。
つまり、受け手の前提が揃っている空間では、技術論はそのまま技術論として届くわけですね。
一方Twitterは前提がぐちゃぐちゃです。一つのタイムラインに、
• Web発で書籍化を狙う人
• 公募新人賞を狙う人
• 趣味で書いている人
• 書籍化に興味はないが「読まれたい」とは思っている人
• そもそもWeb小説を見下している人
が同居しています。その全員に向けて「プロローグをやめましょう」と言ったら、半分の人にとっては正しいアドバイスで、もう半分の人にとっては自分の作風の否定として届く。これが燃えるのは、もはや構造上の必然ではないでしょうか。
「Web書籍化メソッド」を創作論として受け取ると、なぜ傷つくのか
ここがこの問題の核心だと感じます。
書籍化を意識していない人でも、心の奥には「できることなら誰かに読んでほしい」「自分の創作スタイルを認めてほしい」という気持ちが眠っていることがほとんどです。完全な自家用創作の人はむしろ少数派なんですよね。
だからこそ、「冗長な設定語りはNG」「凝ったプロローグは離脱率を上げる」というWeb戦略の知見が創作論というラベルで届いた瞬間、こんな順番で誤読が起きます。
1. 「これは創作論なんだな」と認識する
2. 「自分の創作はこの基準で測られている」と感じる
3. 「自分は間違っていると言われた」と受け取る
4. 怒りが発生する
しかし元の主張は、特定の目的(Web発書籍化)に最適化された手順にすぎません。創作そのものを否定する力など最初から持っていない。受信側で「創作論」というラベルが剥がれると、急に冷静に読めるようになります。
ツールやプラグインとして見れば、すべて整理がつく
引用元のポストで一番腑に落ちる比喩がここでした。
これらの多くは方法論と技術論であり、いわばツールやプラグインのようなものである。
自分に必要だとか、役に立つと思えば導入すればいいし、そうでないなら横目に流せばよい。
私たちはVS Codeに拡張機能を入れるとき、いちいち「全人類はこの拡張機能を使うべきだ/使うべきでない」とは議論しませんよね。自分の作業に合うなら入れ、合わないならオフにするだけです。
Web書籍化メソッドも、まったく同じ性質のものだと考えると気が楽になります。
• なろうランキングを取りたい人 → 「冒頭で主人公を勝たせる」プラグインを入れる
• 文芸寄りの公募新人賞を狙う人 → 「群像劇OK」「凝った文体OK」のセットで動く
• 自分の世界観を完成させたい人 → そもそも書籍化メソッドを丸ごとオフにしていい
プラグインの善し悪しと、あなたの創作そのものの価値は、完全に独立した話です。ここを切り離せると、タイムラインに流れてくる「創作論」に毎回心を持っていかれずに済みます。
ただし、無視していい話と、聞いておくべき話の境目はある
ここまで「気に入らなければ流せばいい」という前提で書いてきましたが、引用元のポストは最後にとても誠実な但し書きを置いています。
ただ、書籍化したいという意思が欠片でもあるなら、もっと言うなら、誰かに読んでほしいと少しでも思っているなら、これらの情報はとても役に立つ。
誰かに読んでほしいならば、意識するべきは読者である。
これは厳しいけれど、本当のことだと感じます。読者というのはあなたの作品を楽しみに来ているのであって、あなた自身を楽しみに来ているわけではない——この一文が、私にはとても重く響きました。
書き手の自尊心を守ろうとして「創作論ではない」と切り捨てるのは簡単です。けれど、「読まれたい」という願いがある以上、読者視点で情報や文章を整理する作業からは逃げられない。Web書籍化メソッドが提供している知見の多くは、結局のところ「読者があなたの作品から離脱する瞬間」のサンプルデータの集積です。
つまり技術論を全部投げ捨てると、あなたは「読者がどこで離れるか」を知らないまま書き続けることになります。それが本当に望むスタイルなのかは、定期的に自分に問い直したほうがいいのではないでしょうか。
私の運用ルール:3つの問いで仕分ける
私はネットで「創作論」のラベルがついた主張を見たとき、次の3つの問いで瞬時に仕分けるようにしています。
問い1:これは「なぜ書くか」の話か、「どう書くか」の話か?
「なぜ」の話なら創作論として聴く。「どう」の話なら技術論として聴く。ラベルではなく中身で判別するだけで、無駄な怒りが発生しません。
問い2:その主張が前提にしている「目的地」はどこか?
「Web書籍化」「なろうランキング」「Kindle収益」「公募新人賞」「私小説」——目的地が違えばルートも違います。自分の目的地と一致しないなら、そのアドバイスは正しくても自分には関係ないと判断してOKです。
問い3:そのプラグイン、自分のプロジェクトに入れる?
最後に「自分の今の作品に、このアドバイスを技術として導入するか/しないか」だけ決める。入れないと判断したら、その瞬間にスクロールしてOKです。賛成も反対もタイムラインに残す必要はありません。
まとめ:創作は自由、ただし届けたいなら相手を見る
整理すると、ネットで「創作論」と呼ばれているものの正体は3つに分解できます。
1. 本来の意味の創作論(なぜ書くか)はほとんど流れていない
2. 多くは「Web発で書籍化するための方法論・技術論」がラベルだけ創作論になっている
3. これらはツールやプラグインに近く、必要なら入れ、不要なら流せばよい
引用元のポストの結びが、本当に綺麗だったのでもう一度引きます。
創作というのは自由なのだ。好きにやればいい。
ただ、目的があってその目的に先に到達している人が発信する情報は、一読する価値があるかも、というだけの話である。
これに尽きるのではないでしょうか。好きに書く自由は誰にも奪えない。同時に、読まれたいなら読者を見る義務は誰も免除してくれない。 この2つは矛盾しません。
タイムラインの「創作論」に揺さぶられて筆が止まりかけているなら、今日この3層の仕分けを思い出してくださいね。流れてきた情報は、あなたを否定しているのではなく、ただのプラグイン提案にすぎません。
書ける気がしてきましたか? もし悩むことがあったら、このブログにまた戻ってきてくださいね。
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